南長浜を楽しむ
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田村湖岸
美しい田村地域の琵琶湖岸には長浜バイオ大学ドーム(滋賀県立長浜ドーム)があります。これは湖北地方特有の冬場の雪のなかでもスポーツを楽しめる全天候運動場で、湖北地域の誇りです。
そして琵琶湖の対岸までの距離が一番遠い田村湖岸は、祝日にはまるで海のような湖水を楽しむ人で一杯。長浜バイオ大学ドーム利用者やバイオ大学生、バイオ企業従業者等、様々な人がゆったりと琵琶湖を癒しの空間として楽しんでいます。
JR田村駅(西側バイオ大学改札口)
1931年彦根駅と長浜駅の間にガソリンカー運行が開始されたことを契機に、坂田駅に続いて気動車列車向けの駅として新設されました。
その後1957年の北陸本線交流電化により、当駅から敦賀駅へは電気機関車が運行されたものの、電気関係により米原駅・田村駅間は非電化のままとなり、その間は蒸気機関車が牽引しました。そのため、上下ホームが大きく分離していました。
田村駅での機関車付け替えは1983年交直両用機EF81形の出現で無用となりましたが、ホームと上下本線の再移設は行われず、上下が分離したホームが当時を偲ばせます。
長浜バイオ大学
地域振興を目的に、湖北地方における高等教育機関の整備充実等を目的に、 滋賀県や長浜市が誘致し、官民協力方式で設立されました。
日本初のバイオ・生物学系単科大学で、実験・実習が多いカリキュラムが組まれていることや、企業に所属していた教員が多いのも特徴です。
また、周辺には長浜バイオ大学を中核とする長浜サイエンスパークが建設され、中でもバイオインキュベーションと呼ばれる施設には、いくつかのベンチャー企業が参入しており、大学発のベンチャー企業も参入しています。
多田幸寺
田村山の麓にある臨済宗妙心寺派の寺院、多田幸寺。平安時代末期に源賢が天台宗で開きましたが、多田幸寺は995年に多田満仲が開創し、三男の源賢法師が開山となった天台宗のお寺でしたが、後に臨済宗となりました。本尊の薬師如来坐像は国の重要文化財で、平安時代前期10世紀の作といわれ、京都・神護寺の薬師如来立像と同系統の密教彫刻の代表作といわれています。
田村山
長浜南部地区には「七岡山」と呼ばれる独立した小丘陵が点在しています。そのうちの一つが田村山です。これらの小丘陵は古墳ではなく、琵琶湖陥没期の残丘といわれ、長浜市内でも南部の西黒田、神田一帯に集中し独特の景観を作り出しています。
これら小丘陵には「岡」の字がついたものがいくつかあります。例えば熊岡山、禾岡山、栗岡山、歌岡山、四面岡山、亀岡山 ( 別名:神田山 )、松岡山 ( 神田パーキングエリアの所 )、多々岡山 ( 別名:田村山 )、中岡山などです。
田村山は麓からの比高50mほどの山塊で、最寄りのJR田村駅から徒歩15分で稜線に立ち、琵琶湖や伊吹山を一望することができます。琵琶湖に対する良好な眺望を望める市街地から徒歩圏内にある数少ない場所の一つです。
この田村山(一簣山)は、標高138mの低山で、ものの数分で山頂に到着出来てしまうような山ですが、琵琶湖と富士山にまつわる神話や雨乞いの民話が残る伝説の山です。
田村山が別名一簣山と呼ばれるのは、神々の時代に、日本一高い山と日本一大きな湖をつくるために、近江の土を掘って富士山を造った時に、掘った跡が琵琶湖になり、運んだ土が富士山になったという神話がありますが、月の神さまに照らされて神々はモッコ(簣)で土を運んだが、夜が明けてしまいモッコに残った土がこぼれて出来たのが田村山(一簣山)だと言われています。
山の尾根道を直進していくと「鯉が池」という枯れ池が見えます。今は窪みしか残っていませんが、この池には民話「鯉が池」の話が伝わっています。
この「鯉が池」には池の主という大きな鯉が住んでいて、村里に住む娘に恋をし、稚児の姿に化して会いにきて、二人は恋に落ちます。娘の母は、稚児の家を知りたくて、稚児の裾に釣り針を取り付けて糸でたどれるようにしたところ、山頂の池の中に釣り針を付けられて死んでいる鯉を見つけます。
母親の夢枕に稚児が出てきて“この付近は水不足になるだろう”と語り、悔いた母親は池までお詫びに行きます。すると急に空が曇り、大雷雨となり、池の中から大きな鯉が現れ、龍と化して中天目指して昇って行ったそうです。
田村山の山頂や「鯉が池」は山の東側にあり、分岐まで戻って尾根道を西に進むと、忠魂碑と琵琶湖の景色が望める場所があり、美しい琵琶湖や長浜の町が眺望できます。
田村山は標高も低く、大きな山ではありませんが、実際に登ってみると神話や民話が残り、岩石群もある山です。自分の足で歩いてみると、小さな発見があるものです。
〈田村町から神田町へ〉
〈神田地区の田園風景〉
神田山・八坂神社
長浜南部地区にある「七岡山」の一つ神田山(亀岡山)。その山を象徴する施設の一つが「八坂神社」です。七岡山社伝によれば、後鳥羽上皇が名超寺に行幸された際、正治元年(1200年)御祈願所として鎮座されたとあります。その後兵火にあい焼失しましたが、花園天皇のとき僧日像上人が再建、再び兵火にあい、再度僧大覚上人が社殿をたてました。1579年(天正7)三度目の兵火にあい、同年9月亀岡山の南麓、本宮(もとみや)と称する地に建立されました。明和九年(1772年)、現在地に奉遷され、安永三年(1774年)社殿を中川文左衛門源正栄が造営したとあります。先人の八坂神社にかけた熱い思いが伝わる神社ですね。
神田溜池
2つ目が別名豊島池とも呼ばれる神田溜(かんだため)です。この溜池は江戸時代の初めに長浜付近の幕末代官だった豊島作右衛門忠次(としまさくえもんただつぐ)が、この地域を干ばつの被害から救うために作ったものです。約2.8ヘクタールもあるこの溜池は遠くに伊吹山を仰ぎ、春は水面に映る桜、夏は自生したハス、秋は道路沿いのモミジ、冬が周囲を無彩色の水墨画の世界に…四季折々の表情に包まれた美しい場です。
周辺に設けられた遊歩道はこういった四季の息吹を楽しみながら多くの人が散歩しています。神田溜では夏になると池一杯にピンクの大輪を咲き競う蓮の姿が散策の目を楽しませてくれます。約十年前に住民の方が池に彩りをと植栽したものです。
少しここで溜池の由来を紹介します。加田村一帯は、昔からたいへんに水の便が悪く、5月の田植時や8月の出穂前に田用水が不足して、稲の収穫が全くないといった災害にあうことも度々でした。
江戸時代、代官として、加田村の陣屋詰めとなった豊島作右衛門公は、この日照りによる災害を救うため、溜池を作ることを思いたちました。
建設が始まると、加田村の農民のほか近くの村々の百姓衆、遠くは山東柏原付近からも人を集め、工事を進めました。当時はざるかごやもっこなどを手に持ってリレーし、両方の山側へ土を運んだ仕事は、たいへんな苦労だったと思われます。ついに、2町8反余(約3ヘクタール)の広大な溜池が完成し、五乗川に水路を通じて、60ヘクタール余りの田地に、給水できるようになった時の農民の喜びはどれほどだったでしょう!
ところが作右衛門公はふとしたことから上役の怒りにふれ、代官としての職務怠慢の罪よって、左遷されました。この時村人たちは後からお役所からとがめられることを恐れて、慰謝金も出さず加田村から去っていく作右衛門を見送ろうともしませんでした。ただ、中川権兵衛・中村角仲の二人だけが、北国街道の田村まで見送りに出ました。
作右衛門は、この淋しい別れを嘆いて、「加田郷永遠の利便を思い、苦難の果てに漸くこの溜池を作ったのに……。」と言い残して、この地を去りました。
豊島作右衛門公の墓碑
その後、加田村には度々災いが起こりましたので、人々は、作右衛門の怨霊にたたられているのではなかろうかと、言いあうようになりました。
明治35年(1902年)になって、ようやく作右衛門公の霊を祀り、そのご恩を忘れず伝え広めるために、亀岡山の上に記念碑を建てました。
さらに、昭和50年(1975年)秋、公の霊をお祀りする、豊島神社が、 この池の近くに建てられました。
眺望等
神田山の山頂からは長浜の市街地や琵琶湖、伊吹山に加え、高速道路や新幹線など様々なものが目に入ります。
かつては「菜の花畠に 入り日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし・・」「菜の花や月は東に日は西に」などと詠われたように、黄色い菜の花の一団は絵にもかけない美しさでした。また、山の周囲に広がる水田では農作業に伴う野焼きの煙が立ち上がり、今では奈良の飛鳥地方にしか見られないほのぼのとした一幅の絵のような風景でした。
神田山には多様な樹木がありますが、なかでも他の桜より少し遅れて咲く白や淡いピンクの花の山桜は、山全体を白色で着色したかのように長くの間人々を楽しませてくれます。
ところで、今こそ生活のエネルギー源は液化燃料や電気ですが、昔は山の木の幹、枝、葉等すべてを木質燃料として暮らしに利用しました。また、希少価値が高い食材の一つ「まつたけ」もかっては誰もが入山できない「留山」として活用されるほど産出されましたが、アカマツの寿命に比例して今ではほとんど見られなくなりました。
このように、神田山は、「資源生産・水源涵養・水質浄化・野生生物の生息・生育環境・感性・想像力涵養・文化の継承の場・レクリエーション・リフレッシュ・交流の場・環境学習の場として優れた地域の財産であると言えましょう。
あいのたにロータスステーション(長浜市布勢町)
2016(平成28)年から、西黒田地域で水はけの悪さや獣害などを理由に放棄されていた休耕田約3㌶を借り、田んぼを再生・地域おこしをするためハスを植栽。今では布勢町山裾の休耕田でハスがピンクや白の大輪を咲かせ、シーズンには多くの見学者が訪れるなど、観光資源として見事に再生されました。6月中旬から大輪を咲かせ、優美な花と瑞々しい葉の対比が観賞者やカメラ愛好家を楽しませてくれます。
この事業を推進したのがNPO法人「つどい」さんで、「あいのたにロータスプロジェクト」と銘打ち、収穫したハスの花や葉を使った商品開発にも取り組んでおられます。
また、7月後半から8月頭が見頃の開花の時期に合わせてイベントも開催。ハスが食べられることを知らない人が多いので、収穫後に花びらを天ぷらにして食べることも体験してもらいたい。ハスの恵みを五感で味わって」と呼び掛けておられます。
是非布勢町の自然を楽しみながら見に行きましょう。